イオンメイト in 九州・沖縄 2024年1・2月号 vol.32

イオンメイト in 九州・沖縄 2024年1・2月号 vol.32


>> P.3

保冷材も冷蔵庫もない時代、魚が大量に獲れても食べきれなければ、売り切れなければ、廃棄するだけ。干物などに加工して少しでも長く食べてほしい。干物は「もったいない精神の産物」なのです。新宮の浜辺で続く干物づくりの技福岡市に隣接した新宮町の新宮海岸は玄海灘に面し、ここではかつてイワシやイカナゴなどが豊富に獲れました。創業者の進藤長兵衛はそれらを煮干しや日干しにして販売し、加工場を3年のことで持つまでに。明治4した。戦後は三代目であり現会長の進藤和夫氏が塩干商品数を増やし、みりん干しや明太子製造も開始しました。品評会で数々の受賞を得るまでに。現在は常時進藤商店自慢の銀だらみりん。身がふっくらとして香ばしい!進藤商店から新宮海岸を挟んで見える新宮漁港。右に薄っすら見えるのは相島(あいのしま)。現会長新宮和夫氏の少年時代。新宮浦は小さな漁港のようだったという。30種の魚種を取り扱い、約5約3品目の商品を製造。イオン九州は「銀だらみりん」「さばみりん」0「塩さば」を扱っています。※一方で、時代の変遷にも対応した製造法の変化などもあります。例えば、天日干しが今は機械干しに。専務取締役営業部長0年の進藤美奈子さんは「昭和5代までは今の駐車場が干場だったんですよ」と言います。当時は波打ち際がすぐ近くに迫り、砂が風に飛ぶことなく天日干しに適していたそうです。衛生面のこともあり、機械で干していますが、魚肉から水分※福岡県の一部店舗で取り扱っています。


<< | < | > | >>