イオンメイト九州・沖縄 2021年5・6月号 vol.16

イオンメイト in 九州・沖縄 2021年5・6月号 vol.16


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地元味めぐり島原手延そうめん【長崎】9ます。一揆後、住民が殆どいなくなった島原では、江戸幕府の移民政策が行われました。全国各地から集まった中でも小豆島からの移民が多く、そこから島原のそうめん作りが伝わったとされています。別の説は中国からの伝来説。幕府が1613年にキリシタン禁教令を発布すると、長崎の唐人(浙江省・江蘇省・福建省出身者)たちは、興福寺・福済寺・崇福寺の3寺院を建立しました。仏事や一般の食生活として中国の寺で作られた「索面(さくめん)」がやがて島原半島にも伝えられたと言われています。さらに同じく中国伝来説として、江戸時代以前からの伝来とする考えもあるようです。中国唐船や南蛮船による交流で中国伝来の粉食文化が開いたという説です。遣唐使の寄港地でもあった五島列島を経由して長崎に中国の麺製法が持ち込まれ、五島手延うどんや島原手延そうめんとなったのではないかというものです。いずれの説にせよ、島原そうめんは長い歴史を持っているのです。画像提供元:南島原市発祥は島原の乱?中国からの伝来?日本の夏の味覚に欠かせないそうめん。ひんやり冷たく、ツルツルの喉越しは食欲が減退する季節に最適です。そうめんと言えば奈良の「三輪そうめん」、香川の「小豆島そうめん」が有名ですが、実は長崎の「島原手延そうめん」は生産量が全国2位。品質的にも優れ、その多くが約200軒もの製麺工場がある南島原市で生産されているそうです。島原のそうめんの発祥はいくつかの説があり、その一つが1637年に起きた「島原・天草一揆(島原の乱)」に関係してい画像提供元:南島原市


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